TOP












 2010 WRC第11戦 ラリードフランス・アルザス観戦と
                    ヨーロッパ大陸ドライブ

 
RALLYE DE FRANCE ALSACE





 思えば去年の秋にラリードフランスがコルシカ島からアルザスに移るというニュースを聞いてからが、今回の旅の計画の始まりだったように思う。長年の夢だったツールドコルス、モンテカルロ、サンレモといった伝統的なターマックラリーを見ることはかなわなかったが、それでもアルザス開催のWRCでやっと観戦のチャンスが巡って来た。

 そしてもう一つの夢、ラリー・モンテカルロの伝説の舞台、チュリニ峠を走ることと、なぜヨーロッパでF-1やラリーが行われるのかを確かめるためのロングドライブ。まあいろいろあったけど、とにかく行って来たよ!






2010年10月1日 パリ - ストラスブール

 12時間の長いフライトを経てようやく着いたフランス。どこか田舎臭さを感じさせるシャルル・ド・ゴール空港と、機内から見えるクルマの流れを見て胸が躍る。来て良かった。この瞬間に不安も吹っ飛んだよ。入国審査もスムーズに終わり、早速プジョー308のタクシー(#1)に乗ってパリ東駅に向かう。雨が降っていたが、雨のパリもいいもんだね。

 パリ東駅からはTGV(#2)でストラスブールまで移動。次にパリを訪れるのは5日後だ。チケットの刻印にとまどって列車に乗り遅れそうになったけど、現地の人に助けられて何とかTGVに乗り込んだ。2時間20分の間、景色は何も見えず、駅で買ったキットカットのチョコボールばかり食べていた。

 21時43分ストラスブール着。日本時間ではもう朝方なんだよな。とにかく早く寝たいので、すぐに駅前のル・グラン・ホテルにチェックインする。到着が遅れることはすでに電話(#3)で伝えておいた。


 

乗ってきたプジョー308のタクシー。

夕方のパリ東駅構内。

(#1) プジョー308のタクシー
順番通りだとトヨタ・プリウスだった。フランスに来てトヨタのタクシーもないので、後の人に譲り続け、やっとつかまえたプジョーのタクシーが308SWであった。行き先はもちろん「ガル・ド・レスト(東駅)」。初めてしゃべったフランス語であった。

(#2)
TGV
列車の発着番線は直前にならないと決まらないので、皆と一緒に電光掲示板の前で待っていた。考えてみればその間にTGVの写真を撮ったりする時間があったのにもったいなかった。ちなみにTGVはとても快適であったが、今年初めて乗った東北新幹線の方がもっと良かった。

(#3) 電話
宿泊するホテルの電話番号はあらかじめ携帯に登録しておいたので、この後もホテルには携帯からかけることになる。日本の家族・友人には iモードメールを写真付きで送ったりした。何て便利なんだ。




2010年10月2日 ストラスブール近郊 WRC観戦

 昨夜はよく眠れた。ベッドもふかふかで寝やすかったし、どうやら時差ボケもないようだ。さあ今日からクルマの運転が始まる。朝食を食べたあと、駅の近くにあるヨーロッパカー(#4)の営業所で手続きをする。一応フランス車希望を伝えてみたが、却下された。結局借りたクルマはオペル・アストラであった。ディーゼルの6速マニュアル、当然左ハンドル。でもこれがまたカッコいい。とにかくこのオペルは6日間を共にする愛車になった。

 すぐに走り出して、市内をうろうろしながらクルマに慣れていく。そして高速に乗り、いよいよラリーのステージ観戦だ。オベルネという町の近くで降りたら、周りは路上駐車だらけで人がいっぱいだった。みんなラリーを見に行く人たちだ。ワクワクしてきた。でも観戦場所はSS14ノータルタンの町中にしようと思っていたから、もう少し走る。



レンタカーのオペル・アストラ。

教会のある田舎町でステージ観戦。


 広い駐車場があったので、2ユーロ(#5)払ってそこに止める。アルザスの景色はとてもきれいだ。どの家もメルヘンチックで、窓という窓に花が植えられている。観光地アルザスとはいえ、こんなところでラリー観戦する日本人なんてめったにいないからか、周りの人たちは皆、自分たちをじろじろ見る。ほっとけ。

 ステージ観戦場所はノータルタンの町の噴水のある曲がり角。メディアも多数いたので、多分雑誌なんかに載るような場所なんだろう。スタートまであと少しというのに、みんな道路に出たり、のんびりコース内を散歩している。別にとがめる様子もない。みんな自由気ままに観戦って感じ。とりあえず腹ごしらえということで、サンドイッチとエクレアを食べる。パンは固く、エクレアは甘い。缶の紅茶はもっと甘かった。

 いよいよ各マシンが通過する時間だ。最初に来たのはローブ。歓声がすごい。それにこんな町中をステージにするなんて、日本では考えられない。当たり前のように家の人たちも窓からラリーを楽しんでいる。自分が今、日本を飛び出してフランスでラリーを見ているという現実に時々驚いてしまう。そんなこんなでWRカー、S2000マシンと過ぎて行き、ステージ観戦もあっという間に終わる。




SS14、ローブのC4WRC。




町の中を全開で走るペターのC4WRC。

フォード・フィエスタ S2000。


 またクルマに乗り、ストラスブールへ向かう。そういえば市内まで一度も信号がなかったな。たいていはロンポワン(#6)で回るし、高速の出入り口に料金所がないから、止まることもない。でも市内では駐車場に入るまですんなり行かず、ぐるぐる回って時間がかかった。そのおかげでストラスブール市内の街並みを観光出来たけど。

 サービスパークにはタクシーで行くことにした。ルノー・ラグナ・ブレークの運ちゃんに地図を見せて行き先を言う。そしてすぐ高速に乗り、すぐに降りた。サービスパークは人でいっぱいだった。本当に人でいっぱいだった。シトロエンのテント前なんか、人であふれて前が全然見えない。それに皆すごい熱狂的。もみくちゃにされた。

 帰りの交通手段のことは全然考えていなかったので、サービスパークを出るまで難儀した。流しのタクシーはないし、バス停のバスは駅に行かないという。困り果てて喉がカラカラだ。何人かにいろいろ聞いて、どうやらトラム(#7)の駅が近くにあるらしいことがわかった。まず言われた方向に進み、そしてまた途中で道を聞く。何とかトラムに乗ってストラスブール駅に着いた。やっとこれで寝れる。



(#4) ヨーロッパカー

ハーツ、エイビス、ヨーロッパカーの3社のうちどれにしようかと迷ったが、決め手は予約のしやすさとナビが必ず付くところであった。6日間の金額は7万5千円(クラスCDMR、ストラスブール駅-パリCDG乗り捨て、運転手2名、保険フルカバー、ナビ付き)。

(#5) 2ユーロ

2日間を通じてラリー観戦に支払った金額はこの駐車料金2ユーロだけだった。ステージ2つとサービスパークに行ったが、観戦料・入場料といったものはタダだし、基本的にどこにクルマを止めても自由であった。観戦場所もひとつのステージに何カ所もあるので、好きなところで観戦出来る。日本とはずいぶん違うものだと思った。

(#6) ロンポワン
いわゆるロータリー。イギリスではラウンドアバウトと言うらしいが、フランスではロンポワンである。実際走ってみて、なんと効率の良い交通システムかと思った。ロンポワンがいくつか組み合わされる複雑なセクションでは慣れを要する。

(#7) トラム
乗ったトラムはA線の始発駅からストラスブール駅までであった。チケット売り場もないので、取りあえず飛び乗ったが、駅に着いても精算するような場所もなく、結局そのまま外に出た。まあいいか。





2010年10月3日 アグノー(WRC観戦) - ストラスブール - バーゼル - ローザンヌ

 レンタカー2日目でようやく落ち着いて運転できるようになった。オートルートA4号線を北上し、今日の目的地アグノーまで走るが、ジャンクションをひとつ乗り越してしまい、初の料金所(#8)を通ることになった。払ったお金は1.2ユーロだった。でも乗り越したおかげで、素晴らしいアルザスの景色の中、これまた素晴らしい田舎のワインディング・ロードを走ることが出来た。丘陵地帯の中に点々とある小さな村。あまりの美しさに写真を撮るのも忘れるほど。でも平均速度が高く、すれ違うクルマも皆90〜100キロくらい。

 最終SSが行われるアグノーはローブの生まれた町。そこで市街地を使ってのスペシャル・ステージが行われる。市内はクルマ乗り入れ禁止なので、周りの道路は路駐だらけ。適当にクルマを止め、そこから歩いて町中に。アグノーは緑が多く、きれいな町だった。観戦場所を探しながら、ひととおり歩いてみる。とにかくすごい人。それにしても市街中心部でこんなことが普通に行われるなんて、素晴らしいね。まさに町を挙げてのお祭りなんだね。



最終SSが行われるアグノー市街。



まさにローブのためのイベントだね。


WRC通算60勝、7年連続7度目のタイトル獲得。




ペターもローブの引き立て役か。

フォード、結局ターマックでは勝てず。



 スーパーSS観戦後、すぐにアグノーの町を出る。高速はしばらく渋滞が続いたが、やがて流れがスムーズになった。表彰式まで見たかったが、今日はスイスのローザンヌまで走るので、残念ながらWRC観戦はこれで終わり。2日間は短かったが、十分楽しんだよ。

 ストラスブール、コルマールと美しいアルザスの風景の中を淡々と走る。ミュルーズからドイツ経由(#9)も考えたがやめて、そのままバーゼルに入ることにした。スイス国内の高速は40スイスフランの通行証みたいなステッカーを貼るらしいので、国境付近は注意して走った。何とか無事にステッカーを貼ってもらい、国境通過。市内のトンネルで車線を間違えたのか、高速から下道に出てしまったが、すぐに高速に戻ることができた。一応グーグル・アース(#10)で予習はしておいたけど、とにかくジャンクション関係は間違わないようにしないと。

 峠を越えて、遠くアルプス山脈を見ながら走る。途中サービスエリアで軽く食事を取ったが、パイ4切れとレッドブルとファンタで2,800スイスフラン。直感的に高い!と感じた。半分にしておけばよかった。だんだん日が暮れてきたので、ホテルに電話を入れ、到着時間を伝えておく。

 ローザンヌに入ったが、予定していた高速と違う路線に乗ってしまったらしく、降りてからの経路がわからなくなった。ここで初めてナビ機能(#11)を使うことにした。ホテルの位置を指でタッチしてナビ開始。坂の多いローザンヌの旧市街を抜けてホテルまでたどり着いた。どこをどう通ったかは、結局わからなかったけど。でもナビに助けられた。ホテルでは陽気なおじちゃんがチェックインの手続きをしてくれた。部屋の窓枠がはずれていたが、気にしないことにした。



(#8) 料金所
料金所でお金を支払うときに困ったのが、必要な硬貨を見つけるまで時間か掛かることだった。日本円と違っていちいち確かめないとどの硬貨かわからないので、どうしても急ぎの時は焦ってしまう。それでも後続のクルマに急かされることはなかったが、イタリアではアクセルを吹かしてきたヤツがいたので、ちょっとカチンときた。

(#9) ドイツ経由
ミュルーズから左に折れ、一旦ドイツを経由してからスイスに入るという定番ルートも考えていた。今となってはやはり行くべきであったと思っている。そうすればアウトバーンも走れたし、5カ国走破にもなっていた。残念。


(#10) グーグル・アース
地図だけではわからないことが、グーグル・アースではよくわかる。特に交差点やインターチェンジなどは、車線やクルマの流れが見えるので、実際の走行をイメージしやすい。もちろん要所となる地点は印刷してファイルしておき、現地に持って行く。なんて便利なんだ。このグーグル・アースの他に「水曜どうでしょう」、「トップギア」(イギリスのクルマ番組)などは欧州ドライブの予習には欠かせないアイテムである。

(#11) ナビ機能
ナビに関しては、現在位置がわかれば用事が足りるので、一応付けてはいたが、実際には紙の地図をその都度見ながら走ることが圧倒的に多かった。しかし市街地で迷った時は大いに重宝した。この時のローザンヌの他にトリノ、マルセイユと迷った時にはナビ機能に頼った。もちろんパリに入るときも。ただ最終日のパリを出るときだけ、なぜか受信不良で役に立たなかった。ちなみに機種はガーミン。フランス語で何回も「トゥルネ・ア・ゴーシュ」、「トゥルネ・ア・ドロワット」としゃべるので、しばらく耳から離れなかった。




2010年10月4日 ローザンヌ - アオスタ - トリノ - サボーナ - マントン 

 パーキングを出るのにスイスフランを足りなくしてしまったので、10ユーロを両替する。ちょっと日本に近いたたずまいのローザンヌを後にして、レマン湖畔を走る。特にモントルー付近からの眺めは絶景だった。途中初の給油作業(#12)を行う。ディーゼルなので軽油を入れて、それから店内のレジに向かう。フランはもうないので、ユーロで支払った。

 マルティニーからいよいよアルプス越え、ナポレオンも通ったというグラン・サン・ベルナール峠(#13)を走る。10月なのでひょっとしたら通行止めかも知れない。その場合はトンネルを通ることになるが、行ってみたらまだ峠は通れるようだった。天気は悪く視界もほとんどないので、アルプスの絶景は見ることは出来なかったが、由緒ある峠を走れただけでも満足。



何も見えないけど、アルプス山脈を越えました。

イタリア、アオスタの谷を下る。


 そしてイタリアに入国。といっても国境なんてあってないようなものだったけど。このあとはアオスタからアウトストラーダA5号線に乗り、一気にフランスまでという行程。イタリアの町はこの次ということで今回は素通りします。途中気づいたことだけど、イタリアでは車線変更時のウインカーを誰も出していないようだった、こっちも初めはウインカーを出していたけど、バカらしくなってやめた。

 トリノでの渋滞を抜けて、ジャンクションを右に折れ、地中海方面へというルートだが、なぜか単純なジャンクションで間違えてしまい、高速を降りた。思いがけずトリノ郊外の町中を走ることになったが、ここで2回目のナビ機能に頼り、また高速に戻る。これで30分はロスしたと思う。トリノからサボーナまでは前半はこれでもかという直線、後半はくねくねした山道という感じ。工事中の箇所もあったが、柵も何もなく何だか適当だった。

夕方になり、地中海を見ながらイタリアン・リヴィエラを走るが、天気が悪いので特にきれいということはない。まあ天気が良ければ最高だろうけど。途中サービスエリアでピザを買い、水を仕入れる。なぜだか早くフランスに戻りたい気分だった。

 フランス国境近くのトンネルを抜けたら土砂降りだった。1年で300日も晴れるマントン(#14)でも夕立はあるということか。何とかホテルの近くまで来たけど、この土砂降りの中、知らない町を走り続けるのもなんなので、路肩で小降りになるのを待つことにした。夜、町に出ると夕方の喧噪はどこへやら、人通りもクルマの往来もない寂しい町になってしまった。仕方なく宅配ピザ屋でピザを買って食べたが、しょっぱ過ぎて半分残した。



(#12) 給油作業
給油は勝手に入れて、レジで精算するシステム。軽油なら「GAZOLE」か「DIESEL」と表示されている。
6日間計4回の給油で確か2万2千円くらいだったと思う。スイスA9号線「Agip」、ソスペルの小さなスタンド(銘柄は忘れた)、A7号線「TOTAL」、A6号線「TOTAL」の4カ所で給油した。

(#13) グラン・サン・ベルナール峠
紀元前にハンニバルが通ったとか、ナポレオンが4万の兵を率いて越えたとかいう、スイスとイタリアを結ぶ重要な交通路。セント・バーナード犬(サン・ベルナールの英語読み)の発祥地である。当初、こちらの峠を通るか、シャモニー・モンブランを通るか迷っていたが、やはり歴史の重みには勝てず、グラン・サン・ベルナール峠でアルプスを越えることになった。ちなみに「水曜どうでしょう〜ヨーロッパ21カ国走破」では、彼らはトンネルを通り、国境を越えていた。

(#14) マントン
ここに宿泊したのはモナコに近いからという理由の他に、実は今宮純さんの自伝の中に、「モナコGPの時にマントンに宿泊した〜」と書いてあったからという、そんな理由もあったのである。




2010年10月5日 マントン - モナコ - チュリニ峠 - ニース - マルセイユ

 朝起きたら快晴だった。早速モナコへ向かう。あこがれの南仏、コートダジュールである。マントンを抜けて高台からモナコ市街地を見渡した時は、最高の気分だった。何度も写真や映像で見た景色だが、やはり本物は素晴らしいね。モナコ市街の狭い道を下り、有名なF-1コース(#15)に出る。ハンディカムでビデオ撮りするが、交通量も多く、トラックやバイクもいて、なかなかいい映像が録れない。結局3周もしたが、あまりいいものは録れなかった。それでもF-1コースを周回したことは満足だった。



地中海とモナコ市街。最高だね。



気分はF-1ドライバー。


一本向こうの道路はもうフランス。




 今日の最大の目的はチュリニ峠なので、モナコは早々と後にする。市街地のヘアピンを登りながら、かなり高いところを走る道に出て、高速に乗る。そしてすぐに降りて、チュリニの起点であるソスペルに向かう。そろそろ給油しなければならなくなってきた。スタンドが見つかればいいんだけど・・・。

 ソスペルの町で給油を済ませ、ちょっと公園で休憩。そしていざチュリニ峠へ。車内に三脚を立て、お決まりのビデオ撮影。同乗者(奥さま)もいるので、そんなに飛ばせないけど、気分だけはスペシャル・ステージである。それにしてもチュリニは想像以上に険しい峠道だった。飛ばすどころではない。対向車に気を付けながら走るだけでも相当神経を使う。まあ他のクルマとはほとんど会わなかったけどね。

 ラリー・モンテカルロの舞台、伝説のチュリニ峠(#16)を走ることが長年の夢だった。ラリー好きには聖地ともいえるこの場所にやっと来たよ。夢が叶うってこういうことなんだと実感する。途中、ちょっと有名な水道橋みたいな橋の下で休憩する。ドイツ人のバイク集団が自分たちの持ってるソニーのハンディカムと同じだと言って、話しかけてきた。この人たちもビデオ撮影かよ。考えることは皆一緒だな。




ソスペルの町。




冬には雪と氷に覆われる。

頂上までまだ1,000m近くも登る。


 これでもかと続くヘアピンを抜けて、頂上へ。何度も映像で見たチュリニの頂上である。ここではラリーのポスターやドライバーのサインなんかがたくさん貼ってあるこれまた有名なレストランで軽く昼食を取る。ここに来たからにはこの店に寄らないとね。その後反対側の南斜面を下り、ラ・ボレーヌ・ベシュビーの村まで走る。こちら側は日当たりが良く景色がきれい。この10日後にはERCラリー・アンティーブ・コートダジュールが行われ、ここチュリニのステージでF-1ドライバーのR・クビサが3番時計を出したとか。

 チュリニ往復で疲れたのと、意外に時間が掛かったことで、今日の予定はここで終了となった。なので、あとはどこにも寄らずマルセイユまで走ることにした。今日ばかりは順調にホテルに着くと思えたが、マルセイユ旧港まで一気に行くアンダーパスを通りそこなったため、渋滞の市内を走る羽目になった。おかげで夕方のラッシュ時のマルセイユを走るという、めったにない経験をすることになったが、これで約1時間のタイムロスである。やっぱり今日もホテル着は20時くらいだった。



(#15) F-1コース
あまりにも有名なモナコGPの市街地コース。走る前はスムーズに周回出来るものと思っていたが、実際にはピット前ストレートは信号で止まることが多く、ボーリバージュは渋滞気味、マッセンネ・コーナーは両側が路駐で車1台分のスペースしかないというような状態。でもカジノスクエア後の路面にうねりのあるストレート、狭いミラボー、おなじみのローズヘアピンなどF-1ドライバーになった気分にさせてくれる。特に意外だったのはトンネルのカーブが直角ぎみに曲がることと、ヌーベル・シケインまでの下り坂がけっこう急だったことである。来年からモナコGPの見方が変わるだろう。

(#16) チュリニ峠
1911年に第1回目が開催されてから、来年でちょうど100周年のラリー・モンテカルロ。その数ある名物ステージの中でも特に有名なのがチュリニ峠(Col de Turini 標高1607m)である。今回、ルート選定に当たって、峠のどちら側から登るかという点について相当頭を悩ました。実際のラリーではソスペル側からスタートの年もあれば、ラ・ボレーヌ・ベシュビー側からスタートの年もあり、その年によっていろいろとパターンがある。どちらがいいか迷ったあげく、最終的には往復するということで落ち着いた。しかし、映像で見る以上にはるかに険しい峠道を往復したことですっかり疲れてしまい、そのあと予定していたブロー峠(Col de Braus)からニースに出るルートは取りやめになった。(本当はリュッセラム〜ラントスク間と崖で有名なエグランのステージも走りたかったが、まあそれは次回ということで)




ラ・ボレーヌ・ベシュビー村







2010年10月6日 マルセイユ - リヨン - パリ

 港町マルセイユはいい町だった。なんだかんだいって港町はいいもんである。滞在時間が短く、ホテルからの眺めとブイヤベース(#17)ぐらいしか楽しめなかったけど、いいところだった。また今度来よう。今日はマルセイユからパリまで走る。暗くなる前にはパリ市内に入りたいと思っている。

 マルセイユ〜パリ間のオートルートはとても快適だった。走りやすかった。平均速度(#18)が高く、皆が皆150キロ以上で飛ばしている。制限速度の130キロまで落とすと、その場では一番遅いヤツになってるんだから、全く気が抜けないよ。でも快適だった。日本の高速道路では考えられないくらい快適で安全だった。



夜のマルセイユ旧港。

「太陽の道」、オートルートA7号線からA6号線へ。


 休憩をはさんで9時間半、パリ市内に入り、遠くエッフェル塔が見えたときは感動した。やっと来たという感じ。花の都パリだけど、田舎を走り回ってからパリを見ると何だか異質な感じがする。人もそう。本当のフランスは田舎にあるのかも知れない。それでもパリである。人生の中で一度でもパリに来れてよかった。


(#17) ブイヤベース
マルセイユと言えばブイヤベースである。だからホテルに着くなり、すぐにカフェでブイヤベースをいただくことにした。昨晩のまずいピザを思えば、やっとありつけたご馳走であった。値段はブイヤベースとハイネケン2人分で7,900円。

(#18) 平均速度
高速にしろ一般道にしろ日本よりもはるかに平均速度が高く、彼らのスピード感覚も日本人のそれとは全く違う。一般道では老若男女問わず、でかいクルマも小さいクルマもみんな飛ばして、ちょっとゆっくり走るとすぐに後にぴったり付かれ、追い越しをかけようとしてくる。日本ではたいていのクルマよりは速く走っているつもりだが、こっちではまるで周回遅れのマシンさながらである。また向こうの人は皆、運転が上手。日本よりもずっと大人な交通社会でありました。ちなみにフランスの制限速度は高速で130キロ、一般道で90キロ。実態に合った制限速度であると思う。





2010年10月7日 パリ市内

 ほんのオマケのつもりで最終日にパリ観光を入れたが、パリ市内は思いのほか楽しく、全然時間が足りなかった。まずは定番のエッフェル塔から。クルマはパーキングに置いたままで、ホテルのあるモンパルナスからバスで行き、適当に降りて歩く。エッフェル塔からはパリ全域が見渡せた。なかなか面白かった。おみやげまで買ってしまった。塔の周りには銃を持った兵隊さん(#19)が多数いたね。

 次はシャンゼリゼ大通りから凱旋門である。よくYou Tubeなどで凱旋門周りのトラフィック(#20)の様子が投稿されているが、あまりに面白いのでこれはけっこう楽しみにしてた。やはり凱旋門からの眺めは面白すぎる。ビデオ撮りに夢中になってしまい、つい時間を忘れてしまう。これ、ラッシュ時だったらもっと面白かっただろう。でも本当は走りたかったんだよね。今回は時間がなかったからやめたけど。

 凱旋門のあとはまたバスに乗り、今度はプランタンとギャラリー・ラファイエット、パリのデパートめぐりである。時間がないので急ぎで歩く。プランタンではエコバッグを、ラファイエットではミッシェル・クルイゼルのチョコレートを買う。だんだん時間がなくなってきた。帰りの飛行機は20時発で、レンタカーの返却は17時半。なので、余裕を見てパリ市内を出るのは16時という予定である。



きれいな街並みだけど、落書きが多いんだよね。

シャンゼリゼ大通りと凱旋門。


 クルマをパーキングから出したのは16時だったので、予定通りと思いきや、今日に限ってナビが受信不良で役に立たず、ぐるぐる市内を回ってやっと環状線(ペリフェリック)に乗った。これだけでもかなり時間を食ったのに、ペリフェリックは大渋滞(#21)である。もし飛行機に間に合わなかったらどうしようかと考えながら、ただひたすら渋滞の中、クルマを走らせるだけだった。大事な水もトランクの中だったので、もう喉はカラカラだ。

 それでも何とか渋滞を抜け、空港に行くと思われる周りのタクシーに付いて行きながら走る。あとはCDGターミナル1と2を間違えなければいいのだが、なぜかターミナル2の方に入ってしまって、また焦る。何とかぐるっと回ってターミナル1に着いたが、今度はレンタカーの返却(#22)に時間が掛かった。もう汗だくだくだったが、出発1時間前には搭乗手続きを済ませることが出来たので、やっと安心した。本当に大変だったよ。



(#19) 銃を持った兵隊さん
半月ほど前にエッフェル塔の爆破予告騒ぎがあって、観光客らが避難していた事件もあったが、実は帰国後に知ったことだが、テロ計画情報があって、フランスのテロ驚異度が最高度に引き上げられていたのだった。現地で買った新聞にはエッフェル塔と兵隊の写真が一面に載っていたが、字が読めなかったので記事の内容がよくわからなかった。

(#20) 凱旋門周りのトラフィック
You Tubeなどで世界各地のトラフィックが多数投稿されているが、その中で最も面白いのが凱旋門周りであると言える。秩序があってないような、むちゃくちゃな世界に見えるが、それでもちゃんとクルマは行きたい方向へ流れているし、これはこれでシステムとして成り立っているのだろう。でも速い奴は先に行き、遅いクルマはいつまでも同じ所に留まっているのを見ると、要領のいい奴が幅を利かせるような、そんな社会の縮図を見ているような気がしてならない。


(#21) 大渋滞
帰りの飛行機に間に合うかどうかの瀬戸際で、さすがにこの時ばかりは気持ちに余裕がなかった。しかも一旦高速に乗ったら空港までは、もう降りまちがいは出来ないという、ある意味極限?の状態だった。
記憶ではモンパルナスからセーヌ川沿いに出て、シャイヨー宮からブローニュの森あたりで環状線に乗ったと思われる。今にして思えば、シテ島、北駅と通り、直線的に市内を抜けた方がずっと早かったのではと思っている。

(#22) レンタカー返却
空港内にはレンタカー会社各社の駐車エリアがあり、そこに止めてから場内のカウンターでキーを返却するのだが、なぜかヨーロッパカーだけ誰も人がいなかった。呼鈴を押しても返事もないし、困ったなと思いながら張り紙を見たら、「屋内営業所のカウンターで返却せよ」みたいなことが書いてあったので、そこまで歩いてやっと返却となった。係員にキーとナビを渡した時に「クルマを駐車場に止めたのか?」と聞かれたが、ちょっと2回ほど聞き直しただけで、機嫌悪くされた。帰国後、明細書が届いたが、総走行距離は2,323キロであった。







渋滞の環状線とシトロエン、タイトル獲得の大看板。


 自動車を自動車らしく走らせることを善しとするヨーロッパの交通社会。止めるのではなく、スムーズに走らせようとする交通システム、そして自動車の性能を引き出し、道具として上手に使っている彼らを見ていて、そもそも考え方が日本とは違うのだと感じてしまう。文化の違いというのか、基本的な交通ルールは同じでも、自動車に対しての接し方や使い方が違うように思える。そんな彼の地での運転は、やはりとても気持ちが良く、道路環境とも相まって、本当のドライビングの楽しさを味わうことが出来た。

 また、自動車の性能と運転の巧拙が仕事や生活にもろに影響してくるような環境にあって、「速いクルマを造ること」と、「速く走ることが出来る」ということは、実は日常生活のうえでとても重要な意味を持っている。結局のところ、それを競うのが自動車レースであり、その頂点に存在するのがF-1やWRCなんだと思う。ヨーロッパ中で毎週のように行われているラリー競技なんかは、まさにそんな自動車文化の象徴とも言えるんじゃないかな。


 それにしても何てうらやましい環境なんだ。南仏あたりに住んでいれば、きっと飽きないだろうな。

 


       


     




TOP