北海道(座席)夜行連泊の旅 



はじめに

 この旅行記は昭和62年3月、国鉄からJRに変わる直前のものである。当時私は
高校1年生であったので当然お金がない。しかし体力、気力は充分であったのでこのような強行スケジュールも可能だった。観光などひとつもない、ただひたすら乗り続けるだけの汽車旅である。当時の記録を元に綴ってみよう。




きっぷと日程の話


 昭和62年4月、北海道の国鉄は北海道旅客鉄道株式会社、「JR北海道」に生まれ変わった。国鉄115年の歴史に幕を閉じたのだ。だから国鉄であるうちに北海道の未乗線区には何としても乗っておきたかった。

 北海道一周は決まったが問題は切符である。これには悩んだ。北海道一周となるとやはり日帰りでは無理だ。当然1週間ぐらいはいる。旅館にも泊まらなければならないだろう。旅館だと充分睡眠もとれるし安心だ。ただ宿泊料が高いので何泊も泊まっていると金がかかる。前年に北海道一周をした山岸君の話によると平均5千円ぐらいかかるとのこと。宿泊費に2万も3万も使いたくない。

 2月の時刻表も発売になり、いよいよ本格的に計画を立てなければならなくなった。いろいろ調べた結果、4通りの方法が浮かんだ。1つは「北海道フリー切符」である。7日間で2万2千円、夜行急行にも乗れるので便利だ。2つめは「青春18きっぷ」。値段は安く1万1千円なのだが、鈍行しか乗れなく宿泊もしなければならない。3つ目は「北海道ニューワイド周遊券」、10日間で学割16,300円と安いが道内では発売されていないので、本州まで行かなければならない。4つめは「北海道ワイド周遊券」である。青森で購入すると14日間乗れる。

 結局「北海道フリー切符」にすることにした。特急指定席がタダ、夜行急行も使えて7日間で2万2千円は決して高くないだろうという判断であった。宿泊料金も浮くことになって助かった。

 きっぷが決まると日程の作成である。条件がいくつかあって、まず未乗線区は出来るだけ乗ること、お気に入りの土地には昼間のうちに行きたいなどなど。しかし一週間で北海道一周、最初はどこから手をつけてよいかわからなかった。

 前年までは函館発札幌行きの夜行鈍行があったのだが、今年はもうない。ということで出発は函館発4時42分の「北斗1号」で行くことになった。1日目は日高本線に乗り、2日目は道東と考えていた。しかし2日目以降の日程の作成は非常に難しく、しかも何通りもの方法があるのでそう簡単には出来なかった。この日程の作成に1ヶ月を要した。






日目 昭和62年3月25日  (注:朱書きは未乗線区)

函館4:426:57東室蘭 (北斗1号)

東室蘭7:23〜7:38室蘭

室蘭8:10〜8:23東室蘭


東室蘭8:24〜8:51白老

白老
9:07〜9:28
苫小牧

苫小牧10:08〜10:46追分

追分
11:43〜11:56千歳空港
 (おおぞら4号)

千歳空港
12:06〜12:31北広島

北広島
12:44〜13:08千歳空港

千歳空港
13:28〜13:47苫小牧 (ホワイトアロー8号)

苫小牧13:53〜17:44様似

様似
17:59〜22:06苫小牧

苫小牧
22:09〜22:27千歳空港 (北斗15号)

千歳空港23:07〜6:10釧路 (まりも)
 




室蘭駅。現在は移転。
 早朝の1番列車で出発。とりあえずは室蘭まで。そして追分まで足を延ばして、今日のメインの日高本線へ。海岸線だがほとんど農村風景の中を走る。往復なので帰りは夜でもよい。




日目 昭和62年3月26日

釧路6:23〜7:23標茶 

標茶7:50〜8:46釧路

釧路9:25〜12:10根室

根室12:33〜15:16釧路

釧路15:50〜20:41札幌 (おおぞら12号)

札幌20:44〜20:48苗穂

苗穂21:02〜21:05札幌

札幌21:50〜6:00稚内
 (利尻)






上尾幌駅で列車すれ違い。

日本最東端の駅。

根室。

 朝日を見ながら釧路到着。道東を昼間のうちに周るには1日じゃ足りないので2日に分ける事にした。まず標茶まで往復してから根室へ。天気がよい。線路際にタンチョウがいた。




日目 昭和62年3月27日
稚内6:35〜7:49幌延

幌延8:04〜11:32留萌

留萌12:12〜13:30深川

深川13:50〜15:54朱鞠内

朱鞠内17:21〜18:21名寄

名寄18:48〜19:57音威子府

音威子府20:40〜21:54幌延 (宗谷)

幌延23:10〜5:12岩見沢 (利尻)


 雪の稚内をすぐに出発。今日は廃止2日前の羽幌線に乗る。そして豪雪の深名線へ。道東の春らしい風景とは一転して雪景色である。




最北端、稚内駅。

氷点下40度にもなる朱鞠内駅。



日目 昭和62年3月28日
岩見沢6:21〜6:59砂川

砂川7:10〜7:26上砂川

上砂川7:32〜7:45砂川

砂川7:49〜7:56滝川

滝川8:03〜11:43帯広

帯広12:25〜12:45池田

池田13:13〜16:48北見

北見17:42〜22:19札幌 (オホーツク6号)

札幌22:30〜6:22網走 (大雪)



映画「駅」の舞台にもなった上砂川駅。

 夜行を途中下車し、まだ乗っていない上砂川線に乗る。そして富良野経由で池田まで、現在は第三セクターの池北線に乗る。寝るためだけに札幌まで行き、また夜行で戻る。




日目 昭和62年3月29日
網走6:44〜9:46標茶

標茶10:06〜11:39根室標津


根室標津12:25〜12;55中標津

中標津13:03〜14:08厚床

厚床15:11〜17:09釧路

釧路17:17〜22:05札幌 (おおぞら14号)

札幌22:30〜3:46遠軽 (大雪)



浜小清水駅。

根室標津駅。

奥行臼駅。

 今旅行2回目の道東。釧網本線の残りと標津線に乗る。スケジュールの都合でこういう乗り方になった。今日も晴れ。根室標津では途中下車印を拒否される。





日目 昭和62年3月30日

遠軽4:33〜5:32紋別

紋別6:49〜9:12名寄

名寄9:18〜10:41旭川

旭川11:00〜11:36滝川 (ライラック10号)

滝川〜徒歩〜新十津川

新十津川12:34〜13:58石狩当別

石狩当別14:02〜14:55札幌

札幌15:00〜16:36旭川 (ライラック15号)

旭川16:41〜18:06富良野

富良野18:09〜19:39新得

新得19:53〜20:48池田 (おおぞら11号)

池田20:54〜23:00釧路



 まだ夜明け前の遠軽駅から名寄本線へ。ちょっときびしいスケジュールである。滝川から新十津川までは歩きで45分ぐらいであった。札沼線往復よりは効率が良い。当初は白糠で夜行に乗り、折り返す予定であったが、寝過ごして釧路へ。泊まるところがなく、結局父の仕事の関係で道新釧路支社の宿直室に泊めてもらう。明日の予定は変更になった。





日目 昭和62年3月31日

釧路7:48〜12:27札幌 (おおぞら4号)

札幌13:30〜14:04岩見沢 (そらち)

岩見沢14:27〜15:38早来

早来15:52〜17:44夕張

夕張17:52〜18:19新夕張

新夕張18:56〜19:06

19:11〜19:18新夕張

新夕張19:33〜20:41札幌 (おおぞら12号)

札幌21:00〜22:36旭川 (ライラック27号)



 予定変更になったが、今日中に夕張線に乗らなければならないので、函館には帰れず旭川の知人の家に泊めてもらう。切符の有効期限が切れるので、帰りは新しく切符を買わなければならなくなった。





帰り 昭和62年4月2日

旭川10:05〜12:26岩見沢

岩見沢12:30〜14:23小樽

小樽14:48〜18:14長万部

長万部19:06〜21:46五稜郭


 帰りは「JR北海道」の普通列車で函館本線を南下。五稜郭で途中下車して終わる。



 これ以上ないってくらいのスケジュールで未乗線区を乗りつぶしたが、湧別〜中湧別間だけは残してしまった。これだけはどうしても時間の調整が出来なかった。今回の旅はまさに時刻表を駆使し、あらゆる可能性の中から最良と思われるルートを導き出し、そしてそれを実行した。それだけで満足であるというだけの旅であった。

今なら出来ないでしょうね。